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ヒストリー

七転び八起きのアメリカ留学

1996年8月

わたしは20歳でアメリカに留学しました。中西部コロラド州です。 

でも外国(特にアメリカ)に興味があっただけで学校の英語はチンプンカンプン、高校3年間は落ちこぼれでした(笑)。

しかも性格は超内向的で気が小さい。言いたいことも言えないし、人見知りもはげしくて、自分の殻に閉じこもって10代を過ごしました。

でもなぜかわからないけど「行けば大丈夫。行けば自分は変われるはず。」

と思い込んでしまい、ほんとに実行してしまった...

大都市に行ったら日本人いっぱいて、多分日本人を頼ってしまう、つるんでしまう。アメリカ行っても日本人とばかりつるんでると英語は上達しないと聞いていた。だから人口10,000人ほどの小さな町を選んでしまった。

身の程知らずのことをしてしまいました。当然、そんなうまくいくわけない。

第1ラウンドでノックアウト負け寸前

日本でも極度の引っ込み思案で社会性に欠けてたわけだから、アメリカみたいな「超自己主張」する国に行ったらそれはそれは苦労しました。

英語はできない、人とうまく付き合えない、しかも回りに日本人はほぼいない。自分で選んだんだから誰のせいにも出来ない。

意を決して現地の人に話しかても、途中から何を言っているかよく分からなくなるので、”Pardon me?” や “What?”を連発して相手をイライラさせたりがっかりさせたりするような日々でした(笑)。

“Say what?” 

“Man…learn English before you come! “

高校の英語の授業は寝てばかりでしたが、中学のときはそれなりに勉強してたから、多少は喋れるだろう、聞き取れるだろう、と軽くみてたら

(相手)”How are you?”

(わたし)”I am fine thank you. How about you?”

(相手)”Good! Thanks.” 

(わたし)”・・・”

と、ここから後が何も続かない!出てこない!

うまくいかないから余計に人に話しかけるのが嫌になってしまい、かろうじて授業だけは出るけど、誰ともしゃべれずに帰ってくるだけ。

それまでの自分を全否定されたようで、大ショック。自信喪失に加えてホームシックまで襲ってくる始末。

アメリカでは8月末からに学校の新学期が始まるので、季節は初秋から秋のど真ん中へ進んでいく。秋の物悲しく寂しいような空気が追い打ちをかけ、余計に気分は沈んでいく。母なる自然は容赦なく厳しい。

周りを見ればテンション高いアメリカ人の若者たちが毎日バカ騒ぎしてる。高校卒業したばかりで親元を離れてはしゃぎまくってるアメリカ人と、気分的に奈落の底にいる自分のとのギャップにまたまた自信喪失するという悪循環。

アメリカくんだりまで来て、部屋に閉じこもり、自分の殻に閉じこもってしまうという大失態。

サウジアラビア人のルームメイトは、部屋の中をちらかしまくって片づけないし、10畳一間の部屋をわたしと二人で使ってるのに、そいつはアメリカ人のガールフレンドを連れてきてとイチャイチャしやがってるし。閉じこもる場所すらなくなってしまった。

留学して1か月後くらいにはもう数回ダウンしてる感じ。第1ラウンドのゴングが鳴ってすぐにKOされる寸前。ヨレヨレでした。

レフェリーからもTKOの勧告を受ける始末。つまり、母親に国際電話でしょっちゅう泣きついてたら「お前みたいに内気で暗い男とアメリカは正反対だろ。最初から無理だったんだて。だから帰ってこいて。」と警告される。リアルな母も容赦なく厳しい。

日本社会でもまだ成熟できていない、中途半端なアメリカかぶれの小僧が、

外国に行ったところでやっぱり未熟な小僧のまんま。しかも自分の未熟さ、ダメさ、弱さを思いっきり突きつけられて、逃げ場もない(笑)。みじめでした。

ここまで追いつめられたんで、もう素の自分を受け入れるしかなくなりました。カッコつけてる場合じゃない、グズってる場合じゃない。なりふり構わず当たって砕けてやれ、と開き直ってしまいました。

火事場の馬鹿力

ノックアウト負け寸前までいってやっと、「どう思われようが知ったこっちゃねー!当たって砕けろ!」と決意できました。

ヘタッピなりに、ぶきっちょなりに、今の自分にできることを精一杯やろう。

頭の中のファンタジーにひたってても時間だけが過ぎていくだけだし。親にお金出してもらってるし。

開き直ってからは毎日、学生寮の掃除おじさんや、食堂で働くおばさんたち、寮のアメリカ人たちに、へたっぴなりにできるだけ話しかけて、相手の名前を聞いては一生懸命おぼえてました。嫌な顔されたところで、知るか。

次に学校のどこかですれ違うときには、”Hi, Matt!” とか “How are you, Mike?” や “What’s up, Steve?”とか、相手の名前を必ず付けくわえて挨拶しました。ぶきっちょなりの「あなたと仲良くなりたい」という意思表示として。

当然、すぐには何も変わりません。がんばって挨拶したり話しかけても、反応はよくないです。あまりにもわたしがガチガチで「当たって砕けろ」感が出すぎてたのか(笑)、”Take it easy, man.” 「気楽にやれよ」とよく言われました。

われながらどんくさいです(笑)。

でもおめおめと日本に帰ることだけはしたくなかったんで。

そんなことをしばらく続けて1か月くらい経った10月の半ばころ、空気が少し変わってきました。こちらから話かける前に、向こうからわたしの名前を呼んで話しかけてくるようになってきたんです!”Hey, Taku!”とかって。しかも一人、二人じゃなくて、何人もの連中から。

このときは泣くほどうれしかったです。努力が実ったようで少しずつ自信を得ていきました。一度自信がつくと、今までより相手の話している内容ががわかってくる!今までより自分の言えるフレーズが増えてくる!

少しずつ現地の人との交流が楽しめるようになっていきました。

青春時代の最大のピンチはどうにかこうにか乗り越えられました。

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